7063  西洋化の波はここまで来ているー香港政府高官ー 王老五 07.04.18

 十年前、香港は中華人民共和国に英国から返還された。これは行政面の事実である。香港特別行政
区という新しい地名になった。英語では、Hong Kong Special Administrative Region と長い呼称に
なった。これは不都合というので、返還前の英国統治下の香港政府、返還後の香港特別行政区政府でも、
税金を税務当局に支払う場合、宛名はHKSAR という略語で受け付けてくれるになっている。

 さあ、ここで思い出した。筆者は香港居民の査証を有しているが、国籍は紛れもなく日本人である。
云わずもがなのことを申した。香港居民の鑑札が有効なのは、香港を入出国する時だけである。成田に到着すれ
ば、不便極まるあの長い列に並び、長時間待たされ、入国管理官に外務省発行せるところの旅券を提示し、
それで関所の通過を許されることになっている。これは他の日本人誰しもそうであろう。
 長い列・・? 受付の箱に空家はあるのに、である。つまり、受付する台はそれなりに設備されているにも
拘らず、全体の半分ぐらいしか係官がその台を埋めていない、ということが通常の状態になっている。法務省に
それを質せば、人手不足、という理由が返ってくるだろう。政府全体で余剰人員を抱えている部署がいくらでも
ある。その余剰分を仕込み、法務省に回すことぐらい配慮は出来ないのか。主権在民ならばそうするだろう。
そうだった、主権在官だったのだ、日本は。
 サウジアラビアを思い出す。あの国に入国時、ちょうど三時のお茶時刻だった。長蛇の列にもまったく意に
介することなく、係官は一斉に自室に引き上げ、長閑にお茶を楽しむのだった。長蛇の列はそのまま取り残される
だけだった。
 十数年前の中華人民共和国、重慶。
 通常国際空港では、最低飛行機出発一時間前に乗客は搭乗て続きに入れば、受け付けてくれる。が、あの
国、、重慶で経験したことだ。ある日、ちゃんと一時間前に重慶国際空港に到着した。が、ぶつぶつ文句を言わ
れた。筆者は納得がいかない。が、当時、言い返すほどの普通語が出来なかった。我慢し、手続きに従った。
 そのうちに気づいたことに、週二便、成都−重慶−香港を折り返す便に、その日は筆者が最も遅く手続きに
入った乗客だった。最後の出国係官ごとき、筆者の旅券をまじまじ眺め、さらには同僚を呼びつけ、二人であれ
これ筆者の旅券を前にし、あの台のところで談義し始めた。最後には、写真のところを指差し、「これは本当に
お前さんか?」と。頭に来た筆者はその旅券をひったくって待合室に進んだ。いわゆるGateと称する工程である。
 今度は結局合計七時間待たされることになった。その間、満足に室内放送はなかった。もはや出国手続きを
済ませているから、その待合室から一歩も外に出ることは出来ない。あんな難行苦行はなかった。
 なぜか、成田空港の出国手続きのことを書き始め、この両国の事情を思い出した。なぜだったのか。

 当地、昨年から、我々香港居民は当地香港人と同様、もはや入国係官が待ち受ける受付に出向くことなく
電子通路という新設された受付で入出国手続きが可能となっている。地下鉄の改札口みたいなのが待ちうけ、
それが二重の改札となっている。身分証明書には指紋も登録されている。二つ目の改札口では親指を指定の
位置で数秒押し付ける、それを機械が正当と判断すれば、その二つ目の改札口が開き、晴れて自由の身と
なる。ハイテクをまさに利用したものだ。
 はて、「電子立国」と嘯いたのはどこの国だったかな。誇大広告とはこのことだ。その国は、出入国の
面倒な申請カードの記入を同胞人に免除したのは、ほんの二、三年前じゃなかったか? それ以前はしこしこ
毎回成田に降り立った際、或は成田を発つ際、その煩瑣な作業に我慢せざるを得なかった。
 当地香港。その電子通路が出来る前までは、確かに人間様がいらっしゃる受付を通らざるを得なかったが、
香港を入出国する度、入出国カードの記載は、香港居民以上の資格あれば、それは免除されたいた。
 母国では免除なし、一方当地香港では免除あり、こりゃどういうことだ。いかに官は国民に尽くす姿勢が
ないかという証左であろう。
 日本は戦後「主権在民」ということになったが、これは見事な虚偽の看板だな。うまく馬鹿な大衆を騙して
いる。実態は「主権在官」でしかない。そして、大半の国民はそれに違和感をさほど持たない。そんなものだと
受け止めている。これが悲劇なのだ。そしてそのことに一般大衆は気付いていない。ただ只管銭儲けに余念がない。
政治、社会はまったく人任せ。それが証拠に、香港の官が民に尽くすほど、日本の官は民に尽くす気遣いは持ち
合わせていないし、またその反省はない。だから、今後も変わりはなかろう。向上を期待はできぬ。彼らには
自らは「公僕」だという概念が体の芯にまったく入っていない。否、官はおのれらが民の上に位置する貴族並みに
思い込んでいる。それをまた民が当然のように受け止めているところに筆者の切歯扼腕がある。

 筆者は二十年前、家族連れで当地に赴任開始した当初、まず子供(小学生及び幼稚園児)の教育をどうするか、
筆者は誰も当時日本人の知人がいなかった、だから、直接政府の教育部門に出向き、香港の事情を尋ねた。
その時、意外に思ったのが、「へえっ?公務員はこんなに親切に対応してくれるのか。」そう思ったのは、日本
での印象が下敷きにあるからである。その後でも、公務員の接し方は日本より間違いなくいい。
 日本の実態は一言で表現すれば「天は民の上に官を作る。民の上に官を置かず」だな。

 話を戻す。
 返還以後の香港は、家主が替わっただけのような感じである、当地に仕事と住まいを続けている、と。
 返還間もない頃、ある大阪からやって来た老工場主の来訪を受けた。彼から、
 「ほなら、もう今は香港も一人っ子政策でっか? 」
と質問を受けた時、失笑を禁じえなかった。それはその人の情報量のせいには出来ぬ。日本の報道がそれに
近いことを流し続けていたのだろう。そうだ。その後東京から来た人から聞いたことがある。その人によれば
 「そうです。あの返還式典の時、NHKのテレビ報道では、香港の現場に取材している記者が、
  ″はいっ。もう周囲から耳にはいる言葉は北京語ばかりです!″と絶叫していた。」そうな。
 NHKの杜撰さ、いい加減さは、もうあの時分でもうその正体を現していたのだ。嘘を平気で真実だといい
くるめる報道機関のいかがわしさ。
 報道機関の言を信じるのが間違いなのだ。半分ほど真実であれば勿怪の幸いだと日本人は知るべきだ。

 当地政府高官は従前とほぼ変わっていない。現特別行政長官は、返還時は、No.3の立場にいた人物だ。今般
再選された。再選前から、北京がこの人物を支援する言明を発していた。それで決まったようなものだった。
これから後五年の任期がある。
 いってみれば、返還前、つまり英国植民地時代は、総督がNo.1で君臨していた。そして主だった政府部署には
当然英国人が担っていた。今、一部まだ英国人の警察官の顔も街頭でみかけることが出来るが、事実上、中華
人民共和国の管理下、香港人が運営する地域と相成った。

 つまり、行政ではこのように変化した。通常一般考えられることは、行政以外でも当然「英国離れ」
を推進するであろう、と容易に予測をして過言でない。それは文化、習慣面その他である。

 ところが、どうしたわけか、このような習慣がまだ残っているところに娑婆の面白さがある。そう
なのだ、豆腐を切ったような娑婆だととても人生を七、八十年も継続しておれまいて。泥沼にこそ蓮華の
花が咲く。蓮華を咲かすような精進をするのが人生だ。そこの人生の光明がある。これは仏教の公理だ。
清い水には何も咲かないだろう。話は戻り、当地の欧米追従の習慣はいっそう増幅した気配すら感じら
れる。



 都市日報、2005年10月21日付。いささか古い。いや、筆者は年号を間違えたかも知れない。2006年だった
かも知れない。現在の曽氏が以前、そして返還後初代長官であった董長官が二年の任期を残して退陣した直後、
二代目の長官と選出された時は二年前だった。だから、時間的に合うような合わないような気がする。まあ、
いい。今ここでそれはどうでもよいこと。

 後姿を見せているのは、曽長官、通常支那語では「特首」と略称している。
 そして更年期はとっくに終了したであろうと思われながらも、昨今の若い女性が既に失ってしまったであろう
そして、きょうび痴性で満ちている日本の若い女性よりも遥かに大和なでしこ風の、「恥じらい」の表情を見せ、
紳士共の心のときめきを寄与せしめているのは、律政長官だった女性である。律政署の親玉ということになる。
じゃ、「律政」という部門は何かと解説すれば、それは英語では、Department of Justice ということをお知らせ
すれば、読者諸賢にはたちどころに理解していただけると思う。
 日本では何に相当するのか。そうか、法務省に近いか。が、少し違う。日本にはないようだ。米国でも、これと
同名の部署がある。そう、今から四十三年余前の米国。あの悲劇の暗殺事件の犠牲になったJFKの実弟がその任に
あった。日本語では、「司法省」と呼称していたか、R.Kennedy 個人を「司法長官」と称していたように記憶して
いる。「省」と当てるのは妥当でない。「省」は、ministry である。だから、日本が使用するアメリカの国家防衛の
部署を、「国防総省」と称しているが、これは二つの点で妥当性を欠いている。
 ひとつが「総」だ。原語にどこにその意味が載っていようか? 否。
 ふたつ目、「省」の呼称だ。ministry ではない。英国は ministry を使っている。米国は香港と同じく
Department の語を使っている。支那語では「署」であるし、日本語では「部」であるべし。
 だから、米国の Department of Defense は、単に「防衛部」なのだ。あるいは支那語式に称すれば、「防衛署」 となる。
 テーミスという月刊誌にある人が書いていた。「日本は、防衛省誕生。今後さらに国防省への道は開かれる。」
という主旨だったように記憶している。これはまるで意味をなさぬ。そう、同誌の三月号だったと記憶す。
防衛省、国防省いずれも中身は同じ。ただ用語の充て方の違いだけだ。
 因みに、台湾は、Department of National Defense だったと思う。これは、「国防部」と称しなければいけ
ない。あるいは、Ministry of National Defense であるならば、「国防省」となる。
 訳語が「国防総省」になるような先進国家はどこにも存在していない。
 日本人の常識がよくわからないところが、この点でもある。
 因みに、英語では、Defense, Defence いずれも同じ意味である。前者はアメリカ英語、後者は英国英語の
違いだけである。

 脱線した。
 東洋文化には元来こうした男女が公然で頬を接触させ、それが挨拶になる、という文化・習慣はなかった。
中東ではひげもじゃらの男どうしが同様に相互に頬を擦り合わせ、挨拶としている。乾燥気候の土地に置いては、
相手の汗が接触時感じにくいだろうが、その摩擦による火花は散らないのかな? 実際、その為に軽度の火傷を
負ったという消息はまだ聞いていない。
 中東。乾燥。砂漠。そして季節の変化なし。この四つを繋ぎ合わせるとその習慣もむべなるかな、という気が
する。筆者は今から三十三年年前、欧州を経由、その中東を単身放浪の旅をした、加えて十数年前も出張旅行も
した。
 そこではじめて自分で気付いた。変化するのは太陽と月だけ、という自然環境にあって、稀に見る人、そんな
場では、挨拶を交わすべく人と出会えば、懐かしさのあまり、それは髭の摩擦による火花が散ろうが、不粋な中年男
どうしであろうが、頬の感触を切に求めたくなるのは理解できる。
 かく申す筆者を変態とみる向きがあるかも知れない、が、中東の砂漠を二週間もうろついてみれば、その一端が窺い
知れると思う。
 人間といふものという形容が適当なのか、あるいはここでは人といふ表現が相応しいのか不明ながら、そうした
存在のそのなりといふもの、それはその土地の自然環境が生んだ産物がその「なり」になっているのだと心底思う。
イスラム教は砂漠で生活しないと到底鼻糞程度でも理解し得ない、といふことと同列ではないかと思う。
 当地、高温多湿の土地である。火花は散らないだろうが、代わりにべっとりとした相手様の汗をおし戴く
ことになろう。たまたま、この写真の光景は、幸いかな、当地でも乾季に入る十月だったからよかった。互いに
べたつく不快感に我慢することはなかったのだろう。が、それにしても、互いに熟年であるけれど、男女の間で
ある、心の動揺はなかったのだろうか。が、「男と女の仲」にたぶんなっていない、通常の仕事の場における間柄
だけであると信ずるが、それでも・・・・・。東洋文化に浸るのをこよなく享受する筆者からみれば、この光景に
接し、素通りし得ないところがある。
 この写真だけでない、日常、テレビ報道ではこうした光景にお目にかかる。乾季雨季に関らず。

 東洋文化では、握手すら本来なかった。が、支那社会でそれが一般化してしまっている。
 油でべとつくむくつけき男と握手した際には、いわく言いがたい思いになる。しかも当地雨季の頃だと、それが
いっそう閉塞感に襲われる。握手がまだ一般的でない日本の習慣がなんと衛生面に叶った作法であるか、SARSが
それを証明してくれた。
 当社の秘書ははっきりという、「握手、いくら仕事上とはいえ、最初に面会する男性と挨拶の為、握手するのは
まったくいや。あれは嫌で嫌で堪らない。簡単に話を終え、すぐに手洗いに走り、手を洗う」とすらいう。
 
 日出づる国、この前安倍はカカアの手を握って北京の空港に降りた。おお。
 じゃ、いずれ数年後は、霞ヶ関、永田町で、上記の写真のような光景を見かけることが特別でなくなる日が来るの
かのう? おお、クワバラ、クワバラ。そうなれば、草葉の陰の「兼好法師」は、徒然草の続きを、どんな風に筆を
滑らせてくれるであろうかのう。                               ■





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