7024  今存在するのは雑種のみ 王老五 07.02.18

 当地の人らと何かと議論し、この人達がおのれらに誇るべき歴史(長さは別とし、、)、文化性、
技能に我が日本のそれに対抗できないとなると、「私達は誇り高い漢民族だ。」を持ち出すのである。
 いわば、“漢”という一語が葵の御紋のように彼らは大事にしている。中二階みたいな存在の
香港人ですら、である。

 あ、さよか。 
 ほなら、別添を見なはれや。



 いつもながらの「都市日報」からの引用である。2月14日付。

 この発表は、第三国の機関のそれではない。れっきとした中華人民共和国内の機関における発表で
ある。いわく、「中華人民共和国には、純粋なる漢民族はもはや存在しない。」

 このことで筆者はすぐ思い出した。
 以下。



 2001年初版という今はもう新しくない書籍である。従って、著者はいまだに東京外国語大学
名誉教授の立場にいらっしゃるか定かならず。
 が、この本に接し、まさに目から鱗が落ちた。

 この著書の中で著者は、「今の中国人は漢民族ではない。」と喝破していたからである。
 その根拠は、・・・・
 遠く、後漢の時代。春秋戦国時代。ことに「黄巾の乱」なるいくさにより、当時の支那大陸の人口が
一割に減ってしまうほど、激しい戦争の結果となった。生き残ったのはそれまでの一割なのだ。九割が
死に絶えた、ということだ。

 天下を取った曹操はそこで困った。天下を取るには取ったが、人口が一割に減ってしもうてからには
今後の国家運営に支障を来たすというもの。
 そこで曹操が考えたのは、支那と隣接する北部の民族を南下りさせる、ということだった。
 そうするうちに、北部から南下した非漢民族は、一割に減少した本家の漢民族と血の混ざりが当然
行われ、・・ それから約2000年後の現在に息づいている、という。

 この記事は、まさしく岡田英弘名誉教授の論法を裏づけたものだといえる。

 もっと平たくいえば、論語、老子、孟子に代表される支那古典時代の漢民族は、後漢以降の支那、
つまり隋、唐を筆頭とするその後の支那人とは、別物ということになる。李白、杜甫らは雑種民族の
極めつけの俊秀だったといえる。
 支那は、その後、元に屈した。当然モンゴル人の血が入る。さらには清という満州族に降伏した。
満州族の血の浸入。
 おっ。外野席からの声なき声が聞こえる。「それだったら、日本人だって雑種民族じゃないか。」
いかにも。ただ、日本列島において、北方、南方、中原、西方アジアその他からの移民が混ざったのは
有史以前の時代だったろう。日本海に水がなく、そこは陸地であり、日本列島が大陸の一部であった頃
だろう。その混ざった民族を称して「扶桑」ともいい、「倭」とも周辺国の人らは称した。が、支那の
場合、混ざったのは有史以後であり、日本の場合と異なり、比較的新しい時代においてであり、また
一方では、後漢以前の民族、つまり正真正銘の漢民族が我らの祖先だ、と胸を張っているのがその後の
支那大陸に棲息する人々だという点で異なると筆者は思う。

 日本人が使わさせてもらっている「漢字」。そう、その「漢字」という語を当地の人らに見せると
「あら。私達の文字を使っているのね。」と。現在、「漢字」と称することは少なく「中文」或いは
「中文字」と彼らはいふ。
 
 以前から筆者が納得し得なかったことが、この民族の経過を念頭に置けば、解決できるようだと
思うことがひとつある。
 日本語の漢字ひと字ひと字が持つ意味は、現代中文のそれからは異なる場合が多く、むしろ、
論語を代表とする支那古典の文字ひと字ひと字の意味に、しっくり来る場合が多いことである。
 論語は、昭和平成の日本人には難解至極である。が、同様に、現在の当地人、あるいは戦後生まれ
の大陸の人らにも難解であろう。
 「老子」のほんの一部だけでも筆者が持ち出すと、平均水準の香港人、大陸人は、ただただ筆者を
畏敬の目で眺めるだけである。                            ■





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