6031  「北」だけではない、どさくさに紛れ、「南」にも注意 王老五 06.07.09

 北朝鮮、やめよう、こんな表現の仕方を。支那語では「北韓」と称している。言い得て妙なり。そし
て、この方が合理的ではないか。
 さて、目下金閣下がおもちゃにしているミサイル発射が、大きな問題となっている。それはそうだ。
日本海に落ちたのだから。その割には、電子版邦字紙を渉猟して思うには、日本国は深刻に受け止めて
いないように映る。まるでよその国の庭に落ちたように受け止めている。ドイツが同様に抗議の弁を
発したというて、我らが政府はドイツに協力要請を求める、という記事がちらりと出ていた。
 馬鹿な。ドイツにとり、遠い、遠い地域での出来事。抗議の弁は一応外交辞令に過ぎないだろう。
 そんなドイツの協力を求めて何の効果がある? 
 
 支那の古典、「韓非子」に以下がある。
   ”遠水不救近火”           (書き下し文:遠い水は、近火を救わぬ)
 
 今の場合、日本政府はせっせと目の前どころか、おのれの庭に火の粉が飛んできているのに、
遠いところの水を求めていることになろう。
 
     ・・・

 北韓のことは別に改めて述べよう。

 ちょっと、日本人よ、ひとつのことだけに捉われるな。「北」だけじゃねえんだ、「南」とて、
狼藉を働こうとしているんだ、このドサクサに紛れ・・・・。



 いつも引用に出すSouthChinaMorningPost紙、七月六日付。

 同紙では、「昨日。。。」と記述があったから、当該が発生したのは五日ということになる。
 今から約百年前、「天気晴朗なれども波高し、皇国の興廃この一戦にあり」と激を飛ばした東郷元帥
の言葉が伝わってくるような光景である。
 ”東郷元帥”の名はもう日本の教科書から消えてしまっているから、若い世代は誰のことか、知らな
い者が増えておろう。フィンランドではいまだにその東郷の名をつけたビール、通り名を遺している、
というのに、である。明治・大正時代の日本人と、平成の日本人は別物と受け止めた方が、ストレスが
残りにくいようだ。

 さて、記事内容をみてみよう。



 いずれも巡視船である。南韓側が先にうろちょろ海域調査という名目で巡視船を派遣したところを、
日本側が急遽同じように巡視船を現場に急行させ、同調査の中止を求めた、が、南韓は無視、という
概要である。「無視」だ。
 四年前、いったい、何のための日韓共催の世界盃だったのか。お友達になれるという目的じゃった
だろうが、ふん、そんなことでお友達になれるものか。いいかい、日本人よ。仮に北韓が日本の攻撃を
受けたら、南は「北に支援する」と明言しているのだ。

 場所はいうまでもない「竹島」だ。
 少なくとも、この十年ばかり、南韓が竹島になんだかんだと勝手に乗り込んでいるのを知らぬ顔で
拱手傍観してきた日本政府のつけが、今こうして回ってきたのだ。

 ほんの1,2週間前、尖閣諸島で今度は中華人民共和国がふらふらと調査船と称するものを派遣させ、
駆けつけた日本の巡視船と睨み合いになっただけの事件があった。だから、南韓とて、
「ほっ。日本はただ黙っているだけじゃないか。よし、俺達もちょっかい出してやれ。あいつらは、
 武力行使ができないのさ。」
と考えたのも自然な成り行きだった。

 参考までに記事の続きを添付する。


 
 会社の女性スタッフが、皮肉にも、「最近、日本は忙しいわね。」と私にニタリ。
 その時、まだこの記事を私は目を通していなかった。彼女は家ですでに新聞かテレビの報道をみて
きたのだろう。

 その彼女とは、あまり政治談議には互いに深入りしないようにしている。

 政府とてだらしないが、報道機関とて何をしているか。                ■





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