5070  次号、5071への資料提供 王老五 05.08.15

 資料1.

 これは本日、つまり2005年8月15日付、SouthChinaMorningPost紙、見開き2頁目と
3頁目である。

 

 資料、2。



 これは、資料1右上ほどに一人の人物が映っている部分を拡大したものである。
 その一人の人物。
 こうした戦争の記事となると、欧米紙はこぞって当時の日本を代表する人物として必ずこの
人物の写真を掲載する。東条英機が登場することは少ない。代表とならないのであろう。
 題して、How War Came to Asia。
 まるで日本が戦争をもたらした、といわんばかりである。

 筆者は、今から30年前、単身海外放浪の旅をした。
 何のきっかけか、ロンドンにまで辿り着いた。その郊外のある民芸品屋と下宿屋を経営する
ある中年夫婦のところに下宿した。そこの主人夫婦らには何かと食事に呼ばれたり、親身になって、
世話してくれた。
 その主人は、現在のBAの前身、BOACを退役した極めて温厚な紳士であった。
 ある日の午後のお茶。
 二人を前に私と三人で雑談していた。いつも話題を変えるのが細君の役割だった。その細君は
ベルギー出身。英語にはいささかフランス語訛りがあった。だから、英語では決してお手本に
ならないわよ、といつもそのおばさんはいっていた。
 戦争の話題になった。
 その主人は、Japan was forced to fight.
 と一言明確に言い切ってくれた。

 かつて海軍で海南島、上海に駐在したことのあった筆者の亡父は、我々子供が小学中学生の
頃、やはりあの大東亜戦争は、やむにやまれず始めた、というようなことをいっていたのを思い
出す。

 資料、3.
 これは
          題名      著者       発行所
     歴史から消された     黄文雄      青春出版社
        日本人の美徳



 の269ページから引用したものである。これを目にした後、数ヶ月は筆者は空いた口がなか
なか塞がらなかった。
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