4081  クリスマス狂想曲、なんとかならないか 王老五 04.12.21

4076号に筆者が記述した内容に吻合するように、SCMP紙の Letters to Editor 欄に
以下のような投稿が掲載されていた。欧米紙における Letters to Editor は、あたかも邦字紙に
おける「声の欄」に相当するが、中身は大学生と幼稚園児ほどの差がある。いつぞや、産経紙に、
「歩道を歩く時は、携帯電話の使用は控えましょう。通行人の邪魔になる可能性がある。」
という趣旨の投稿を載せていた。
 これが掲載を許されるならば、
「皆さん、歩行時は気を付けましょう。右足か左足のどちらかを前方に一歩踏み出したら、今度は、
必ず反対の足を前に出しましょう。うっかり同じ足を二度続けて前方に出すと、ころぶ可能性があり
ます。」
という宇宙の真理は当然掲載さるべし。
 まったく馬鹿馬鹿しい限りだ、その産経紙の投稿基準は。投稿者には罪はない。いろいろな視線の
人がいろいろ意見を吐くのだから、それこそ百家争鳴でいいのだ。問題は、それが実際に紙面に掲載
させるべきかどうかの判断を行う新聞社の見識なのだ。

 幼稚園のような産経紙と異なり、欧米紙の Letters to Editor は、大人の世界だ。
 政府への反論、意見、さらにはその新聞掲載上のあるコラムに対する反論まで、あっさりと掲載
するのだ。そして、政府などの公的機関は、そうした反論・提言に対し、これまたその紙上で、自論を
堂々と展開する。そこでは公的機関の顔が見える。日本? そんな「声の欄」にはほとんど知らぬ顔
であろう。

 さて、添付しよう。


 
 縮小した割には、まだ判読が可能のようだ。マカオ在住の医師の投稿のようだ。
 
 「街角の商業主義に乗ったクリスマス狂想曲は、本当のキリスト教信者達を追い出してしまう。
キリスト教信者は、このキリスト生誕の日を厳かに精神性中心に、キリストの教えを改めて思い、
神の存在を身近に一層深く静かに思うことなのである。贈り物、食事会などにはあまり縁がない。
キリスト不在のクリスマスは、私にとり、そのよけいに付帯している mas の部分は、物質主義、
傲慢さなどに思わせる。事実、現実にはその通りになっている。我々は貧しいが、幸せだ。どうか、
この聖なる時期を、静かに神と共に過ごせるようにしてほしい。」

というのが、意訳だが、その主旨であろう。
 まさに「頂門に一針」だ。
 当地香港、キリスト教信者はいかほどいるのか? 毛唐、そしてフィリピン女性らにその割合が
多いであろうが、地場の支那人には、その割合は極めて小さいといえる。

 今宵も、夕食に出かけた先で、勘定場で Merry Christmas と挨拶された。咄嗟に、筆者の顔は
こわばった。その係りの女性とて、かく挨拶をするように、と上部からの指示で行っているだけだとは
いやというほどわかっているが、現実にそう挨拶されると、内心、
「でも、おいらは仏教徒なのだが、ね・・・・。」とつぶやいてしまった。

                               − 完 −





                                                                      元へ戻る