4071  ポツダム宣言 王老五 04.11.21

国際間にまたがる取決め、あるいは議事録、あるいは条約、その他は、日本語訳に委ねていると、
騙されるのがおちだ。あたかも「サッカー賭博」が、「サッカーくじ」に置き換えられたかのように。

 ポツダム宣言の原文に出くわした。これは長い文章である。ドイツに対する処理をどうするか、など
いろいろな課題に触れている。この会議は米英ソの首脳でほとんど打ち合わせされたものだ。

 日本に対する降伏勧告が一番最後になってまとめられている。それは十三項目に盛られており、
一番のポイントは最後の第十三項になろう。

 13. We call upon the government of Japan to proclaim now the unconditional surrender
   of all Japanese armed forces, and to provide proper and adequate assurances of
   their good faith in such action. The alternative for Japan is prompt and utter
   destruction.

 これは www.taiwandocuments.org からの引用であり、その末尾にはこれらの資料は、米国国務省からの
出典であることを明記してある。

 これが出されたのは、七月二十六日だった。無論、昭和二十年だが、いわずもがな。
 筆者はこの一番最後の文章に冷や汗を感じた。戦慄を覚えるというのはこのことか、と思った。
 じゃ、その部分をここに抜こう。

 The alternative for Japan is prompt and utter destruction.

 要訳は、「(以上に)従わない場合、日本には遅滞なく悲惨な崩壊が待ち受けている。」となるが、
これじゃ、どうも訳し切れていない。逐語訳すれば、日本語らしくなく、こうした文章を意訳するのは
いささか躊躇する。それは小説ではないからである。原語の意味を掴むには、原文でしかあり得ない。

 utter destruction  これなのだ。これが原爆を意味していたものだろう。

 この宣言が出て以来、当時の日本政府執行部はいったいどんなふうにこれを受け止めたのか?
 この utter destruction をどう解釈し、受け止めたのか? この宣言の文章はこの最後に来る
までさほど激しい用語は使われていない、会議の模様を淡々と議事録に納めたな、という事務的な
調子である。が、この最後のところに来てその調子ががらりと変わっている。

 この箇所をちゃんと当時の政府執行部は裕仁天皇にも伝えたのか? あるいは握り潰しだったのか?
伝えても、天皇にはよくこの本当の持つところの意味を把握できなかったのか?

 その七月二十六日から数えて、ちょうど十一日目に長崎に原爆、十四日目に広島へ、と日本にとって
の歴史は、まさにそのポツダム宣言通り、utter destruction を二つ遭遇したことになる。

 この宣言を得て、終戦工作に動いた形跡は、日本政府にあったのか? 筆者が昔予科練で学習した
歴史の授業では、この宣言を受けたものの、当時の政府は「黙殺」しようということに決定した。
ところが、その「黙殺」の意味を解しない外交官がちゃらちゃらとそのまま「黙殺」に決まった、ことを
外に漏らした、と。それが連合軍の怒りを買い、長崎、広島へとつながっていった、ということ
だった。
 「黙殺」とは、受け入れないという態度を固めたものの、相手先にはそんなそぶりを見せないこと
だ。が、一方、「無視」は、いささか積極的の意味があり、相手に受け入れない態度が伝わっても
しようがない言動を気にしない、ということだと、当時習った。

 お粗末な政府役人が、長崎、広島の犠牲を生んだことになる。 
 規模は遥かに小さいが、現在でもその繰り返しのように映る。機密費だけはちゃっかり一人前に
頂いて・・・・。

                                − 完 −





                                                                      元へ戻る