4043  黄文雄というノンフィクション作家 王老五 04.07.16

名前が示すように、この人は台湾生まれの中国人である。早稲田大学商学部卒業。1938年生まれ。
 知る人ぞ知る、だろう。

  − 中国文明論集、 − 台湾・国家の条件、 − 中国にもう花は咲かない
  − それでも日本だけが繁栄する、      − 醜い中国人
  − 大東亜共栄圏の精神、       ー 脅かす中国・騙される日本
  − ありのままの中国

などの著書多数ある。

 ここで筆者は、同氏著書 「捏造された日本史」 日本文芸社   を手にとる。

 さて、ここに最近掲載されていたSouth China Morning post紙の記事をここに添付しよう。七月九日付。


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 八十歳以上の老人であれば、よく見慣れた顔であろう。
 されば、「以徳報怨」という老子からの言葉をこの人物が、先の戦争で日本が敗戦時、日本に対し、
この言葉を発し、当時大陸にいた日本軍将兵は涙に涙だった、という歴史は、八十歳以下の日本人でも
こうした事実は知っておく必要があろう。
 文部省のおかしな綱領に基づく社会科教育でだけで習った歴史しか知らないという大半の日本人、なんと
いうお粗末な姿であろう。
 文部省にお世話になるのは、せいぜい22、23歳頃までだ。それ以後は自らの学習しかない。
 が、大半の日本人はそこで学習は中止だ。だから、素養はお粗末にもお粗末を極める。

 上記写真記事に説明されている内容、いまさら筆者が訳するほどのことはなかろう。平易な英語で解説
されている。
 が、実に不思議だ。小泉、森、小渕、橋本といった最近の日本国宰相はまるで英語が出来ない、という
事実だ。この四名は、いずれも日本人ならば誰もが知る早稲田、慶応出身だ。それなのに英語がろくに
出来ないというのはどういうことだ。この四名のほかにある共通点。いずれも「スプーンを咥えて生まれた」
坊ちゃま達だ。森の父親は国会議員ではなかったが、地方政界の重鎮だった。町長を八期か九期続けた
男だ。そしてソ連に特殊な不透明なパイプを持つ男だった。

 まあ、いい、あんな坊ちゃまーズのことはこれ以上触れまい。気分が悪くなるだけだ。

 「蒋介石一族は、蒋介石及びそのせがれ蒋経国の墓を故郷の大陸は寧波の郊外に安置させて欲しい、と
北京当局に嘆願していたが、このほどそれが正式に棄却され、仕方なく台湾の地に永遠の眠りにつくことに
なった。」

という内容だ。おわかりか? これくらいの英語が出来なくてどうする?

 さて、冒頭に紹介せる台湾人作家・黄文雄著、「捏造された日本史」に戻ろう。
 台湾・・・日本が植民地経営したのはほぼ五十年余。当然、日本から派遣された歴代の総督が指揮監督の
上であった。
 が、その歴代の一九人の総督中、台湾に墓があるのは第七代総督だった、明石元二郎大将だけだった、と
筆者はいう。だいぶ前、NHKテレビでその明石元二郎が若い頃、日露戦争前夜の頃、欧州で東奔西走、
縦横の情報活動をしたのをドラマ仕立てにしていた。
 黄氏によれば、
「日露戦争の日本の勝利について、ドイツ皇帝ウィルヘルム二世をして、『明石一人で、大山巌率いる
二〇万の日本軍に匹敵する戦果があげられた』といわしめた明石元二郎大佐は、日露戦争以前は駐ロシア
日本公使館付武官としてペトログラードに滞在していた。」
「台湾には、日月潭という有名な観光地がある。現在発行されている台湾のガイドブックには、なぜかみな
『天然の湖』と書いてあるが、実は天然でなく、明石元二郎総督時代に建設が着手されたダムなのである。」
 
 これだけで我らが日本人の大先輩・明石元二郎がどれだけの人物だったのか、その一部でもわかろう。
「もし、身上に万一のことがあったら、必ず台北に葬るように。。」という遺言を残していたようでもある、
と黄著では続いている。たった一年の総督駐在だったということだ。

 さて、一方、蒋介石一族。
 申すまでもなく、米英ソの連合軍の一国を担い、対日抗戦で勝利をいったん勝利を収めたものの、すでに
勃興してきた八路軍、つまり今の共産党、との内戦に負け、仕方なく台湾に逃げていったのが経緯である。
 日本の敗戦が一九四五年。支那共産党設立が一九四九年。つまり、45年から49年に至る数年の内戦で
蒋介石は台湾に逃げ延びなければならなかったのだ。
 が、その後、蒋介石、その息子(めかけの子)と大統領を踏襲し、今日の台湾を築いたのであった。
 蒋経国の後を受けて、初めて蒋一族でない人物が大統領になったのが、前大統領である李登輝氏なのだ。

 黄文雄氏は同著の中で、
「(明石元二郎に)それに引き替え、台湾に半生を過ごした蒋介石はどうだろう。蒋介石の死後、台北の
中心地の総督府前に、蒋介石を祀る巨大な中正廟が建立されたが、棺は将来中国大陸へ帰葬するため、
地面から三寸(これを「さんずん」と呼称する。最近の若者、こうした言葉を「さんすん」と称している
にも拘らず、周囲の大人は誰もあまり指摘したがらない、なぜか?)離して安置してあるのである。」

 つまり、蒋介石一族は心まで台湾に尽くす気はなかったのだ。仮の住まいだったのだ。
 そのことがまさに事実だった、と裏付けるのが、掲載新聞記事の内容だ。

 このことで筆者は、黄文雄という作家に喝采を叫ばざるを得なかった。
 ぜひ、黄氏の著書に目を通していただきたい。本物の日本人以上の日本人精神が躍動している上、正しい
史観で、日本、台湾、大陸の絡みを展開している。我々本物の日本人が、まさに尻を叩かれているような
ものである。忸怩たる思いである。

                                 − 完 −




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