4032  国会議員諸君よ、汝らは日本の恥部だ。消え失せろ。 王老五 04.05.20

今日という今日こそ、久しぶりに愕然とした。なんともいいようのない怒りか、それともあまりもの幼稚さに呆れを
通り越し、茫然自失してしまった、と形容が妥当を得ているのか、、それでも正鵠を得た表現にはなり切っていない。

 いつも筆者は会社で支那人職員に、何かと能率に落ちる、勤勉性に欠ける支那人のことを指摘しているところ、
今日という今日は、見事に反撃を喰らい、一言も反論が出来なかった、という点である。
 それは以下に示す新聞記事が示している。支那語版は「都市日報」、英語の方は、いつも引用している、
South China Morning Post紙である。都市日報紙では、「日本の朝日新聞の報道によれば、・・・」という切り出し方を
しているから、当然日本でも報道があったであろう、ただどの程度の扱いであったかは、定かならず。
 が、こんな恥ずかしい内容がこうして世界にも伝播されているという現実をようく議員の諸君、噛み締めて
貰わないかん。
SCMP紙が別名で呼称しているように、国会議員というのは、「法を造る人」なのだ。その辺の認識は、議員の
うちどれほどにあろうか? 寂しい限りだと予測がつく。





 国会議事堂という中で、会議中の折、しこしこと漫画を貪っている若い議員らを、何かの昼食会に小泉が叱責した、
という内容だ。漫画はおろか、そんな会議場で平気に携帯電話でべちゃくちゃもやっている事実もあるらし。
 こいつらは、まるで色気がついたばかりの、程度の低い私立高校生並みじゃねえか。そんな行動に何ら自覚がなく、
先生(小泉)から注意を受けるまで気がつかない、というのだ。

 今日、その支那語記事の切り抜きを、会社の女性が筆者に示してくれた。
「日本って、すごいと思っていましたけど、これじゃ、、何の魅力もないですね、今は日本人は。。。」とぴしゃり。

「いや、それは、ね。日本じゃ事情が違うのだ。日本じゃ、国会議員というのは最低の人種なんだ。我々市井の市民が
遥かに優れているのだ。馬鹿か泥棒か詐欺師ぐらいしか、議員になろうとしないのが、昨今の日本の特徴なのだ!」
と反論しようかとさえ思ったが、止めた。

 言うまでもない、余罪はある、そう、「年金未払い」の罪状だ。
 少し前、櫻井よしこ女史の論文中、「年金の未払い者は、全国で37.2%もいるそうだ。」というのがあった。
約4割だ。まともに
払っている国民は、6割しかいない、ということだ。
 当然、国会議員の諸君らのどうだろう、6割以上がその「未払いの4割組」に組み入れるのが、妥当な見方では
なかろうか?
 年金は未払いするわ、公設秘書の給料をねこばばするわ、、これが国会議員の正体なのだ。
 確かに、こうした「こそ泥根性」は決して認められないのはいうまでもないが、これは世界に向かってはさほど報道
価値がない。
 「漫画崇拝議員」の存在が、このように世界へ「日本の恥さらし」として流れてしまった。この信用失墜はどれほど
のものになるか、・・考えただけで空恐ろしい気がする。
 そして、「日本人をちゃんと見習え」という号令は、現地人にかけづらくなってしまった。
 むしろ、「そんな怠惰をしていると、日本人になってしまうぞ、とくに日本の若手国会議員のようなこの世の成れの
果てになってしまうぞ、それにはまだ早いぞ。」
と表現を切り換えるべきか?

 憂国の士、「前野徹」氏の最新刊は、「日本の敵は日本人」(経済界)。
 その「敵となる日本人」というのは、

 □  総理大臣の大罪    − 小泉純一郎の大罪
               − 謝罪国家への道を開いた宮沢喜一
               − 日本を侵略国にした細川護熙の歴史的犯罪
               − 贖罪国家を完成させた村山富市
               − 橋本龍太郎でおわびの手紙が定着
               − 対米盲従隷属の総理大臣たち

 □  戦後官僚の大罪    − 国の最高機関、国会の立法権を略奪
               − 一枚の紙切れで未曾有の不況に追い込んだ官僚
               − 国家予算を自由勝手に自己集団権益拡大に利用
               ー 役人の裁量に任されている三百兆円
               ー 官僚のつくった利権に群がる族議員

 □  マスコミ、文化人の大罪

 以上、同書の目次を抜粋してみた。

    ・・・

 「こんな議員に誰がした?」という問いを仮りに施しても、そのWHOは、選挙民、つまり、一般国民に跳ね
返ってくる。二世、三世議員の氾濫で「議員の世襲はいかん」という声はあまたあるものの、畢竟、それを許した
のは、当の「銀のスプーンを
咥えたままで」育った坊ちゃん、お嬢ちゃま達でなく、それは選挙民なのである。
 国民が、本当は「議員の世襲」を望んでいる、というのが本音なのだ、と読まなければだめだ。
 さらには、「漫画を貪る」馬鹿議員を望んでいる、というのが、選ぶ選挙民の本音なのだ、と冷静に受けとめ
なければならない。

 最近の萎れた日本、何をしても国際競争に勝てない。
 宇宙ロケット然り。
 最も端的なのはスポーツだ。
 当地、毎年3月末、あるスポーツの世界大会が行われる。この切り口だけで、それが何のスポーツを指している
か即座に分る向きは、相当なラグビー通といえよう。

 RugbySeven ともいい、または、Hong Kong Rugby とも呼称する。
 つまり、本来のRugbyはご存知15人の選手で闘うが、これはそれを半分以下、つまり、七人に絞り、通常の
ラグビーのルールに基づいて行うのである。
 どこが違うかといえば、Forwardのスクラムを省略した、と簡単に受け止めてほしい。
 つまり、Forwardが存在しない、と。Backsだけで行うラグビーだ、と。
 だから、展開が速い、防御線とて浅いので、いったん、堤防が決壊すればいとも簡単に攻め側の独走を許すことに
なる。どちらかといえば、観戦している方には、本来の15人制より華々しく目に映る。

 毎年、25、6カ国が参加する。いわゆる世界の強豪は漏れなく。

 これはサッカーの世界盃の進め方と似て

(日本じゃ、”W杯”と記すようだ。が、おかしい。まず、”杯”の意味は、ただのコップでしかない。
 あの見事なCupは、”盃”の文字が十分に著している。そして、日本式のそれは、”W”と”杯”と
 いうちぐはぐな組み合わせ。おかしいじゃないか。”杯”という漢字を使うなら、なぜ”世界”を用いて
 は具合が悪いのか、農協のように漢字じゃ、肥やしの匂いがするのかい? 支那語でいう"世界盃"の表現がまことに
正しい。 香港、台湾、大陸支那は、英語のTOEFLの成績では、日本より遥かに上位にある。その上位者がちゃんと
自分達の言葉に置き換え、"世界盃"と。逆に、英語の成績がずっと下位にある日本人は、自国の言葉を使うことしないで、
ちょっとでも毛唐の匂いを嗅ぐべく、Wの文字を残したり、カタカナで逃げようとする。この精神なのだ。問題なのは。
ただの盲従隷属のみ。頭髪をウンコ色に染めるのと同様の理屈だ。)

最初、適当に三つの組に分け、その中でリーグ戦を行う。その結果を持ち、いわゆる日本式でいう、一部、二部、
三部の勝敗成績により、組み直す。それからその一部なり、二部なり、その中でトーナメント方式でその部における
勝者を決める。
 例年、日本は最終的には二部の真ん中ぐらいの成績に終わっていた。その事実とて情けないが。
 ところが、今年。たふたふ三部に落ちた。しかも落ちたその三部でも優勝すら出来ない。やっとこ準優勝だった。
優勝者は、どこか南太平洋に浮かぶ、あまり聞いたことのない名前の島だった。三部の面々は、ほんの数年前くらいに
ラグビーなるものを国で始めた、という感じの国々だ。
 日本はかれこれ歴史だけでいけば、百年近いのではなかろうか、また予算だけでみれば、トップ三本指に十分に
入るだろう。
 一部の顔ぶれは、New Zealand, Australia, England, South Africa, France, に加え、Fijiが、いつも優勝決定線上に
転がり込んでくる。これらのチームは、Fijiを除き、本来の15人制のラグビーでも競り合う仲間達である。

 ロケットが飛ばない、スポーツも弱くなる一方、・・・・議員らは年金未納工作、漫画本に貪るに多忙だし、・・・・。

 あのノンフィクション作家・広瀬隆氏が、近著「パンドラの箱の悪魔」(文春文庫)の中で、、

「・・・・・ そうでなければ、これほどのひどい国になるはずがない。私が六十年間生きてきて、子供、青少年から、
ジャーナリスト、芸術家、労働運動・左翼運動家、文士、思想家、右翼に至るまで、これほど知的反骨精神を失った日本は、
過去に一度も見たことがない。戦後、一貫性を守りぬいてきたのは、政治家と経済人の底なし沼のような腐敗と堕落だけ
である。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

 という一節で慨嘆している。この本は是非一読していただきたい。この本だけでなく、広瀬隆の著書であればなんでも
いいから、目を通していただきたい。

 国民ひとり一人が今こそ目を覚ます必要がある。
 会社の仕事しか、視野にない中年ビジネス紳士よ、それじゃ、社会人として失格なのだ。
 当社に出入りするある日系の国際宅配便会社の、若い日本人営業担当者にこうした話題をたまにするのだが、筆者は
「こんなこと、あなたの会社の上司あたり、こんな話題で飲食の場であれ、出ることは稀だろう?」
と問うと、
「いえ、まったくありません。第一、、こうしたことに関心は何ら持っていません。」
と明確に答えてくれたのでした。
 その歯切れのいい回答には印象よく思ったものの、内容を思い、暗澹たる気持ちになった。


                                  − 完 −





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